越前打刃物の伝統と歴史 越前鎌、包丁行商物語 NO,16
2015/07/04
越前打刃物の伝統と歴史 越前鎌、包丁行商物語 NO,16
『越前打刃物の歴史を調べていると、
知人から一冊の書物を紹介して頂きました。
昭和四十六年に発行されたこの書物は、
著者斉藤嘉造先生が書かれた貴重な物でした。
未来へと語り継ぎ、残していかなければいけないと思い、
この場をお借りし一部抜粋して、ご紹介していきたいと思います。
永い年月をかけ越前打刃物である鎌、包丁、鉈、鋏などが、
全国に広まった事実の物語です。』
行商の里 その4
服部谷や水間谷月尾谷の部落の中には、
今は鎌商いをする家は一軒もないが、
明治大正時代には数軒は鎌行商をしていたと
話す部落も多い。
そちらの話から推定すると、明治時代には
約二百名前後の者が行商したのではないだろうか。
昭和十三年に越前金物行商組合が成立した。
創立当時の組合員数は百七十三名であった。
これによれば服部谷、水間谷、月尾谷、河和田谷、鞍谷の
五つの谷の人達合わせて百五名で全体の六十二%を
占めており、更にその近隣の旧粟田部町、旧南中山村、
旧上池田村、旧北中山村の合計四十四名を加えれば、
全体にては八十六%を占めるのである。
これらの旧町村は当時はすべて今立郡に属しておったので
鎌行商人の八十六%は今立郡下の人達によって
営まれたという事になる。
当時組合に加盟しなかった者は僅少である事からみても、
鎌行商の主役は今立郡下の農民であったと考えられるのである。