越前打刃物の伝統と歴史 越前鎌、包丁行商物語 NO,7
2015/06/01
越前打刃物の伝統と歴史 越前鎌、包丁行商物語 NO,7
『越前打刃物の歴史を調べていると、
知人から一冊の書物を紹介して頂きました。
昭和四十六年に発行されたこの書物は、
著者斉藤嘉造先生が書かれた貴重な物でした。
未来へと語り継ぎ、残していかなければいけないと思い、
この場をお借りし一部抜粋して、ご紹介していきたいと思います。
永い年月をかけ越前打刃物である鎌、包丁、鉈、鋏などが、
全国に広まった事実の物語です。』
移り変わり 江戸時代から その4
文政五年(1822)に問屋の総代久津木猪三郎と熊谷弥助が、
三十名を代表して町奉行に株仲間の許可を文章で嘆願した。
この時、鍛冶仲間は総休みをして問屋側と話し合い、
町奉行にも願書を出して猛烈に反対した。
その理由は、鎌の販売が三十名の問屋によって独占されると、
製品を安く買いたたかれる事と、鎌を行商人に売る事が
出来なくなるからであった。
この年には鎌問屋株仲間は結成されなかったが、
それより十数年後の天保年間には遂に許可された。
しかし、鍛冶職が行商人に直接販売することは自由であった。
従って鍛冶職の鎌の販売先は、府中鎌問屋と
府中周辺在住の行商人と、越前国以外の各地方からの
直接注文の三通りであった。